| カナダ出発前 |
5年間勤務していた会社を辞め、カナダに行くことを決めてから
いろんな準備がはじまりました。
まず社団法人ワーキングホリデー協会の九州支所で登録をし、いろんな
資料やその当時にカナダに住んでいた人たちの手紙などを読みながら
情報を得ました。
カナダでどんなことが起こるかわからないので、いろいろ不安なこともありましたが、結局カナダ国内でサポートをしてくれるという会社には登録しないことにしました。なぜなら、ただでさえ出発前の所持金がほとんどなかったのに、
そこに登録するお金はなかったからです。
結果的にはカナダにいた時に何も起こらなかったのでラッキーでした。
そして、パソコンを買いました。
日本にいる家族や友達との連絡手段は、Eメールだと思い、持ち運びが
しやすいノートパソコンにしました。
プロバイダーは、AOL Japan に日本で契約し、毎月費用が日本の口座から
引き落とされるようにし、カナダでは電話線につないでインターネットや
Eメールをしていました。これは大変便利でした。
カナダから日本に国際電話をかけるとお金もかかるし、時差もあって
話したいときになかなか話せないので、私にとってパソコンを持っていったことは
大正解でした。
ちなみに、カナダでは国際コーリングカードが比較的安く、結構長時間
日本と通話できます。
一番大変だったのは、カナダに持っていくものをスーツケースにつめる作業でした。なにせ、1年間もカナダにいくのですから、何を持っていったらいいのやら・・夏はどこまで暑くなるんだろう・・冬はそうとう寒いだろうから、たくさん持っていかないと・・と考えていると、すごい量になってきました。
結局、冬物はかさばるので、冬になる頃、家族にカナダへ送ってもらうことにしました。
それでも荷物は多くて重かった!
一番大きなサイズのスーツケース1つ、おしりから頭の上までくる大きな
バックパック、小さい荷物2つ。
これを女一人かついでカナダへ出発しました。
空港にお見送りに来てくれた祖母からはいまだに
「あんたが自分より大きな荷物を背負って行った事は忘れられないね〜」
と言われています(笑)
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| トロントへ |
2001年5月末、初めてのカナダ、トロント空港に到着!
日本でトロントの中心部にあるユースホステルに宿泊予約していたので
とりあえずそこに向かうことにしました。
ところが!トロントの空港はターミナルが多く、ターミナル同士が離れているため、どうやって中心部に行ったらいいのか全くわかりませんでした。
夕方についたので、とにかく早くユースホステルに到着しないと、外が暗く
なってきて、いくら治安のいいカナダとはいえ、危ない!と思ったので
空港のスタッフに中心部への行き方を聞きました。
そして無事に中心部に到着。
ところが!某有名旅行本の地図をみながらユースホステルに行くも、
なかなかたどりつきません。地図にあるはずのユースホステルがありません。
町を歩いている人たちに聞いても、高級ホテルならまだしも、そんな安い宿の
場所なんて知りません。
外は暗くなってきて、大きなリュックをからい、大きなスーツケースを
トロントの中心部でガラガラおしながら、途方にくれていました・・
そして!ラッキーなことになんとかユースホステルを発見!
全く地図の中の場所とは違う場所でした・・・
ともかくホッとしてチェックインをし、部屋に行きました。
私が宿泊する部屋は10人部屋で、二段ベッドと鍵が壊れたロッカーがあり、
そこに宿泊していたのは、白人、アジア人、いろんな人種がいました。
そこにいた日本人と友達になり、いろいろと情報をもらい、次の日から
一人でトロント市内観光にむかいました。
トロントは大都市なだけあり、毎日見るところがあって楽しかったです。
カナダ人がやっている「ナイアガラの滝ツアー」にも参加し、英語で案内を
してくれたのが英会話の勉強になりました。
そんなこんなで、トロントには4泊ほどして次の目的地に向かいました。
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| オタワへ |
トロントでオタワのバックパッカーズインを見つけ電話で予約しました。
オタワへはバスで移動しました。
私が宿泊した部屋は、2段ベッドが2つある4人部屋。
しかし、この時は私とフランス系カナダ人の女性しかいませんでした。
彼女の名前はメラニー。
私と同じくらいの年齢で、モントリオールから仕事できているとのことでした。
とてもフレンドリーな彼女は、同じバックパッカーズインに宿泊していた
アラブ系の男の子とキッチンで仲良くなり、彼が車を持っていたので
みんなでドライブに行こう!ということになりました。
オタワには2泊しかしていませんが、メラニーとはその後もずっと、
そしてカナダから帰国して3年たった今でも、ずっと連絡を取りあう友達です。
彼女にはカナダ滞在時にいろいろと助けてもらい、フランス語を教えてもらったり
本当に彼女と出会えてよかった!素敵な出会いでした。
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| プリンスエドワード島での生活 |
2001年6月
オタワから飛行機でハリファックス経由にてプリンスエドワード島へ。
日本で1ヶ月間だけ申し込んでいた英語学校のホストファミリーが
ローリーだったので、その当時のローリーの彼が空港に迎えに来てくれていました。
ここが赤毛のアンのプリンスエドワード島か!と感動したのを今でも覚えています。
ローリーの彼はプリンスエドワード島の警察官だったので、なぜだか
家に直行せず、警察署に立ち寄り、警察署内を案内するよと言われ
案内してもらっていると、冗談で私が犯人で捕まったという設定で写真を
とろう!ということになりました。
緊張しながらとったのはいいけれど、その後ちゃんとその写真は処分して
くれたんだろうね・・・と不安に思うリエでした。
そして家につき、ローリーと初対面。
とっても元気で美人な女性だったので、なんだか楽しくなりそうな予感がして
ウキウキしてきました。
着いた当日の夜はいきなり、家族やお友達とレストランで食事を一緒にし、
皆が英語で会話をしているのがなんて言っているかわからず、少し辛かったのを覚えています。やっぱり、日本で聞く英語と、カナダで聞く英語の早さは
違うな〜と思いながら食べるというより、英語を聞くことに必死でした。
それから毎日学校に1ヶ月間通いました。
ローリー宅には1ヶ月だけの滞在の予定が、この1ヶ月間の間に
とても仲良くなったので、もっといてもいいよと言われ、結局その後
3ヶ月間彼女の家に滞在することになりました。
1ヵ月後に学校が終わってから、さあ生活費を稼ぐためにバイトをしないと!
ということでローリーに相談したところ、ローリー宅から車で5分の
キャベンディッシュにある遊園地で仕事を探してくれました。
面接に行き、遊園地のスタッフとして勤務することが決定!
とても嬉しかったです。
ところが!勤務が始まってみると、スタッフは12歳〜20歳までの私よりも
はるかに年齢が年下の子供たち。その中にまじって・・というか、話題も全く
あわずに完全にまじることはできませんでしたが、とりあえず仕事はきちんとしました。生活費を稼ぐことができたのでローリーに感謝!
私の下手な英語でも雇ってくれたのですし。
客はカナダ人だけでなく、アメリカ人もいました。
赤毛のアンの家があるキャベンディッシュのビーチは、夏の間観光客に
とても人気があります。
遊園地のスタッフの子供たちといろいろ話しましたが、一番印象に残ってるのは、12歳の女の子でした。
私が「なんで12歳なのに仕事をしているの?日本では12歳は働かないで
遊んでいるよ」と言ったところ、12歳の彼女は「うちは子供の人数が多いの。
私は大学に行って○○学を専攻したいので、その為のお金を貯めてるの。両親に負担をかけないように」・・
私は愕然としました。こんなにしっかりしている12歳に会ったことはない!
こんなに両親思いで、やりたいことがはっきりしている子には
絶対に夢をかなえてほしい!と強く思いました。
そんなこんなしているうちに、夏のプリンスエドワード島が終わり、
9月になりました。
プリンスエドワード島の観光スポットは、夏の間だけ営業している所が
ほとんどです。ですので、遊園地も8月末で営業がおわりました。
その後は、ローリーのビジネスのお手伝いをして生活費を稼ぎ、
楽しいことが大好きな私たちは、週末にバーへ行ったり、島の端から端まで
ドライブをしたり、PEIの景色がきれいな場所やレストランに行ったり、
ローリーのお友達とお食事したり、ホームパーティーに
行ったり、とにかく彼女と過ごした日々は本当に楽しかったです。
時には大喧嘩をしてぶつかりあったりしたことが、さらに絆を深めることになりました。今では本当に姉妹のようになりました。
ローリーと出会ったことで、プリンスエドワード島に住む多くのカナダ人と
知り会うことができ、毎日が英語だけの日々で、かなり英語力がアップしました。カナダに行っても日本人しか友達ができない・・と嘆く人が多い中、
このような状況でいられたことは本当に感謝の一言です。
おかげで、なかなかできないような経験をいろいろとさせていただきました。
そして、プリンスエドワード島はもう見尽くしたので、9月には他の都市に
移動しようと決めて出発日も決めていたところ、9月11日のアメリカのテロが
発生し、カナダにも少なからず影響がきていたので、10月に引越しをずらしました。
そして10月、ローリーもお薦めするモントリオールへ移動しました。
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| モントリオールでの生活 |
ローリーがモントリオールに住む友達に会いに行くとのことで、一緒に私も
モントリオールに行くことにしました。
かなりの私の荷物を彼女の車にのせて、ひたすら高速道路を走ること13時間。
モントリオールに到着しました。カナダって広いんですね〜
ちなみにカナダの高速道路は無料なので、いくら長距離を走っても
ガソリン代だけですみます。
しかも、5〜7時間くらいのドライブであれば、あまりカナダ人は長距離だとは
思わないようです。
そして、カナダ第三の都市、モントリオールにつきました。
私の故郷の福岡とそんなに規模はかわらない都市なのに、
それまで田舎のプリンスエドワード島にいたせいか、とっても都会にみえて
完全におのぼりさん状態になっていました(笑)
人間ってすぐに環境にそまってしまうものですね(笑)
私がモントリオールに来てどこに宿泊したか・・・
そうです、オタワで出会った、あのメラニーのお宅でした。
彼女は友達と住んでいたので、あまり私をずっと泊めてあげられないからと
モントリオールでのアパートの見つけ方をいろいろと教えてくれました。
彼女は大学の学生だったので、大学のキャンパス内にある掲示板に
私を連れて行き、空きアパートの情報がないか一緒に探してくれました。
また、モントリオールで住む場所を探す方に便利なのが、
フローム・モントリオールです。
モントリオールでの空きアパート情報から職探し、生活をする上での
必要な情報が掲載されています。
ちなみに、モントリオールでアパートを借りる場合は、サブレットというものが
あります。
サブレットとは、アパートを契約した人が契約切れの前にアパートを出る際、
他の人にまたがしすることです。
モントリオールでは普通にされていることです。
また日本語でアパートというと、ちょっと安っぽい住みかのように聞こえますが、
カナダではマンションとはいいません。
一言で言えば、賃貸マンションはアパート、分譲マンションはコンドミニアムと
言っています。
話はもどりますが、結局先ほどご紹介したフローム・モントリオールで見つけた
日本人の女の子が住んでるアパートにルームメイトというかたちで
住まわせてもらうことになりました。
早速そのアパートに引越し、次は職探しです。
モントリオールは他都市に比べて日本人が少ないせいか、そこまで職探しは
困難ではないような気がします。
その当時、モントリオールでも高級日本食レストランといわれる所で
アルバイトを始めました。
そこで文化の違いをかなり体験することになりました。
まず、お給料はそんなに高くなかったのですが、チップを毎週もらえたので
お客さんが多かった週は臨時ボーナスが入ったような気がして得した気分でした。
そして、食べ方の違い。
カナダ人は、日本人のように居酒屋方式で皆と食べ物を分け合うという食べ方ではなく、ちゃんと一人一人、前菜を食べ、メインを食べ、デザートをお好みで食べるといった感じです。
メニューの中の味噌汁がカナダ人にはスープとしての前菜になります。
私がそれを知らなかった時、味噌汁をご飯とおかずと一緒にお客さんにもっていきました。
そしたら「何で味噌汁をおかずと一緒に持ってくるの!」と怒られました。
最初はなんで怒られたんだ?と思いましたが、「あー、前菜として味噌汁だけもってきて」ということだったんだ!とわかり、味噌汁だけだしました。
そして去ろうとした瞬間、「スプーンがないじゃない!」とまた怒られました。
そうです、カナダでは、器に口をつけてすするというのはマナー違反であり、
スープはスプーンで音をたてずに飲むものなのです。味噌汁も例外ではなく、
前菜のスープですから、スプーンを持っていかなかった私が悪いのです。
他にも、ランチタイムにビジネスマン2人がやってきて、日本酒一升瓶を
飲みほし、何事もなかったかのように仕事に戻っていきました・・・
いったいどういう体の構造をしているのか・・・
そんなこんなでいろんなことがありながらも、レストランのアジア人スタッフと
そして、シェフの方々と楽しく過ごしました。
メラニーやローリーも食べに来てくれた時は嬉しかったな。
レストランでの仕事の話から、アパートの話にもどりますが、
ルームメイトとして住まわせてもらい、留学で来ていた彼女と、
ワーホリで来ていた私と、生活スタイルの違いから、彼女に迷惑をかけて
いたので、一人で住めるアパートを探しました。
運よく、同じレストランで働いていたスタッフが日本に帰国するということで
そこに住み始めることになりました。
モントリオールの本当に中心部でしたが、すごく快適で、家賃も500ドルもせず、
とても住みやすいアパートで全く問題ありませんでした。
ただ、その何ヶ月後にアパートのオーナーが変わり、アパートをひきはらう時に、いろいろ大変だったので、アパートを契約した時の契約書や、領収書などは
キープしておいたほうがいいです。
そしてワーホリビザがきれる日が近づいてきました。
カナダが大好きになり、日本に帰国したくなかったので、ワークビザをだしてくれる会社を探しました。
そしたらちょうどJTBモントリオールがガイドを募集していたので、
応募し、受かったのでモントリオールに住み続けられるようになりました。
ここまでかなり長くなりましたが、最後まで読んでくれた方はいらっしゃったのでしょうか?(笑)
これから先のストーリーはまた後ほど更新していきます。お楽しみに・・
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